総員悪者社会

 

 

雪で街が一つになっている。

今日の降水(降雪?)確率何%だったのか気になったが、意地が悪い気がしてやめた。

 

失敗の裏側に成功があって、その奥に当然があって。誰かの成功を当然にしてしまうことで、進化もしてきたのだろうし、傷つけても来たのだろう。

当然を成功だと認識してしまっている時点で、それ以上の成長は凡そ望めない。

成功を当然だと認識してしまっている時点で、誰かの犠牲は凡そ避けられない。

 

サッカーでPKを外すことと、野球で三振して最後のバッターになってしまうことは違うみたいで、「100%」と「30%」と、求められている確率が違うからなので。野球で打てなくても、仕方ないよと慰めてくれるが、PKではそうはいかないので。慰めるだろうけどね。

生活において、当然を求められることと成功が讃えられることと、どちらもが混在している。

 

歩行、足が浮き地を踏み、足が浮き地を踏む、振る腕、等速等速、間違いのない着地を何度も何度も、当然の積み重ね。

爪切り、伸びた爪、パチパチ、利き手、そうじゃない手、パチパチ、利き手薬指の深爪、当然の裏の失敗、理想の爪切りを終えたところで、成功とは言えない。

 

街外れの職場では平然と弱者へのいじめがあると山田亮一が歌っている。確かに。話題といえば概ね誰かの噂と現状と昔話。ふがいないや。

 

こんな時代に誰がしたと吠えるロックバンド。いつの時代でもお前らはそう言うんだろ、と叫ぶロックバンド。

 

今の時代の悪者は誰だ、ネットか。以前の時代の悪者は何だ、ゲームか。大きな違いをちゃんと見なければならない。ゲームはゲーム自体が悪者と言われていたが、ネットはネット自体が悪者ではない。僕らが悪者なんだ。