岡山県倉敷市玉島について

岡山県倉敷市玉島に行ってきました。以下、レポートです。

 

玉島地域が倉敷市になったのは1967年らしい。と言っても、玉島市だったのは1952年からで、“市”としての歴史は約15年と思ったより短かった(情報はwikiより)。

 

そもそも、玉島に行きたかった理由は、玉島に商店街があるという話を聞いたからだ。僕は商店街が好きで、今後日本各地の様々な商店街の情報を記録する活動をしていこうと思っている。寂れているか、流行っているかは問わないが、寂れている商店街は特に、最期がいつ訪れるのかわからないので、退職してでも少しでも、早く活動を始める必要があったのだ。

また、「新日本deep案内」に記載されている玉島の記事がおもしろかったので行くことにした。ところで、かつては新日本deep案内や金原みわさんの記事など、日本のローカル調査の記録を見ていると、僕には到底及ばないことをしていて気後れしていたのだけど、「大丈夫、敵じゃないじゃん」と思うようになってからは、僕は僕でできる限り、日本の過去の為にも未来の為にも、活動をしていこうと思い立ったのである。強調するが、僕は僕でできる限り、それでいいのだ。

 

deep案内から、アーケード商店街が3つあるという情報を得ていたので、その商店街を探し歩いた。一つ目に見つかったのが「通町商店街」だ。

玉島観光協会側から通町商店街に入ろうとすると、右手に「元祖 夫婦焼」と掲げたお店が登場する。店名は「オリンピック」。この夫婦焼、めちゃくちゃおいしい。大判焼きのような。1つ100円で、餡子と、うぐいす餡の2種類ある。どちらもめちゃくちゃおいしい。さすがは味自まん、おすすめです。食べ物の写真はおいしそうに撮れないので載せられません。ごめんなさい。

 

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食べ歩きつつ商店街へ入る。確かにシャッター街だと言われるかもしれないが、現役で営業されているお店も十分に見られる。服地屋、食品雑貨屋、酒屋、楽器屋、喫茶店など。

 

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僕は喫茶店が好きなので、少し悩んだが入店した。喫茶「べびいどおる」という。お店の方は御高齢ではあるが凛としていて爽やかな印象の女性、先客は常連と思われる男性が1人。メニュー表が手書きでかわいい。空腹ではなかったのだが、どうもナポリタンが食べたくてナポリタン(¥650)を注文した。ナポリタンの上に半熟の目玉焼き!(サラダ付き)これまたとってもおいしい。お店の方に「粉チーズ、タバスコとか自由に使ってね」と言ってもらえたので、ありがたく大切に使わせていただいた。「水は好きなだけ入れて飲んでね」とのことなので好きなだけ飲ませてもらった。その後、珈琲(¥300、食事を頼むと¥200になります)を注文しておいしくいただいた。

店内を眺めているとマッチ箱があったので、マッチ箱について尋ねてみると、昔フランス料理の店をしていた頃のマッチ箱とのことだった。「どうぞ」と言われたのでありがたく頂戴した。本を読んでいると、「どうぞ」と温かいお茶を出してくれて喜んでいただいた。更にしばらくすると、「どうぞ」と昆布茶が出てきて感激しながらいただいた。お店の方が「どうぞ」と出してくださる優しい飲み物達で心がひたひたになったところでお会計を済ませる。

済ませた後、少しお話をさせてもらった。跡継ぎがいないこと、業務のしんどさも原因の一つだと認識していること、高齢化に伴い商店街の皆に元気がなくなっているということ、地盤の弱さのせいでこの地まで鉄道を引っ張れなかったこと、かつては港町として栄えていたこと、40年程の歴史があること、大分県の豊後高田のテコ入れが入っていること、そのテコ入れに対して皆が前向きではないということなど。

喫茶「べびいどおる」のお店の方の顔写真に、「あいそなくて、ごめん。」という文言を添えた広告が控えめに店の前に置かれていた。気になって尋ねてみたところ、どうやら豊後高田の取り組みらしいが、あまり気に入ってないらしい。

「ていうか愛想いいですよね、気さくに接してくれますし、昆布茶もくれますし」と言うと、「昆布茶は愛想じゃなくてサービスでしょ」と言われ、「そうですね」と返して別れた。とても良い店だ。喫茶「べびいどおる」、ぜひ行ってみてください。住所は「岡山県倉敷市玉島2丁目1-13」です。金曜が定休日で、営業時間は8:00~19:30です。

そう言えば頂いたマッチ箱、1本だけ逆向きに入っていて、こいつは何年も孤独だったのかなとか妄想が膨らんだ。

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通町商店街を後にして、歩いていると清心商店街に辿り着いた。通町商店街より、かなり閑散としてしまっている。喫茶オスロ―が気になる。この店で珈琲を飲みたかったとしみじみと思った。

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清心商店街を抜けて、銀座商店街を探して歩いていると、どうもアーケードが見つからない。キョロキョロと、ふらふらしていると「何か探しているの?」と御高齢の女性が話しかけてくれた。ありがたく銀座商店街について尋ねてみると、どうやらここで合っているらしい。約2年前に商店街の屋根が撤去されたそうだ。維持費もかさむし、修理するとなると修理代は高くつくし、どんどん店は減っていき各残店舗の負担は増えるし、多くの屋根撤去の理由が集積し、撤去に至ったというわけだ。どうやら屋根があったころの景色には間に合わなかったようだ。

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僕にいろいろ話してくれているこのお母さん、服地のナカノのお店の方だった。小学生の頃から、お父さんに習ってお店のお手伝いをしていたと教えてくれた。玉島以外にも福山や総社にお店があったようで、各地の商店街を歩くのが楽しみだったという。

店がどんどん減っていくし商店街は寂しくなっていくし、悲しい気持ちはあるけれど、この仕事を通してたくさんおもしろい経験をさせてもらったと力強く話された。バブルで激動だったから、今は仕事の空いた時間に自転車で街を走るのが楽しみだということを教えてくれた。

加えて、50年前から商店街の限界については商店街の人々で話されていたこと、それゆえ商店街の皆で率先してサティを作ったこと、結果的には失敗したこと、かつては活気があったこと、便利な総合店の増加に伴い専門店の需要が減少していること、専門知識に乏しい人が多い気がしていることなどいろいろと話をしてくださった。個人的に印象的だった話は、総社の方の商店街のお店は扉が木製でシャッターがないから、寂れてるけどシャッター街とは言えないのよという話、でした。

とても優しくて、人間味とかわいげのある素晴らしい人だと思った。素敵なセカンドライフ、さっきまで知らなかった人の幸せを祈りつつさよならした。

ちょうど暮れなずんできた。この地は「Always 三丁目の夕日」のロケ地でもある。夕日が沈む様を溜川沿いに座って鑑賞して、玉島を後にした。

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魅力の詰まった場所、玉島。知らない人が知ってくれたら、誰かがここへ行ってくれたら、嬉しいよね。以下いくつか写真達です。

読んでいただきありがとうございました。

 

 

風になびく寂しげな窓辺

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もう入れない銭湯「みなと湯」

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この扉の向こうには何があったのだろうか。

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座商店街の地図

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刀が刺さってるかと。

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閉業してしまっていた喫茶「ミッシェル」 

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