春の鴨川

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鴨川。先行イメージが、三条・四条付近のカップル鴨川等間隔のそれであってほしくない。そんなことを改めて思っていた。まあ好みの問題になるとは思うのだけれど、僕は圧倒的に鴨川デルタが好きなのだ。

僕は同志社大学に居たので、立地的に出町柳商店街を抜けて鴨川へ行き、出町柳商店街を抜けて家へと帰っていた。この時間、ルートが格別なのである。

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昼は賑わい、出町柳商店街が織りなす味覚と活気を浴びつつ、かわしつつ、陽気な天日に綻んだ空間、人々の解放が広がっている鴨川デルタ。

夜は空っぽで満たされていて、酔いが回って焦点の合わない声や、誰かが持ち込んだ花火、ガスコンロで始める鍋、ギターに歌、酒、馬鹿の着水。帰路の出町柳商店街、グッドなフレンズとの闊歩、時には無音で滑る自転車の車輪の感覚だけが響くような静寂。これ以上、陶酔できる瞬間はないのではないかと思ってしまう。

 

三条付近の夜の鴨川の人の群がりも、趣があるものだ。入学当時は嫌っていたけど、刹那的な高揚を覚えてからは盲目的に三条鴨川の熱気を愛し始めていた。僕が知らないだけで、いつもどこかでドラマな時間は生まれている。感情のブースターとしてのアルコールを摂取した人間が、勢いをつけて様々なエロスを人間に伝えては抱擁し、写真を撮り記録し、時にソーシャルネットワークサービスにも流す。デジタルネイティブの京の夜の暮れ、昔がどうとか知らんけど、僕らはこうやってきたよ。この春には、2000年(1月~3月)生まれが入学するようですね。

 

数日前のことです。大学生の頃に出会った友達と安酒で語り、出町柳付近に住んでいる友達の家にゾロゾロと大勢で集まるというイベントがあった。
今出川駅からその友達の家へ、気を置かずに済んできた友達と歩き、寺町のセブンイレブンで煙草を吹かす友達とマッチングし、馬鹿な男が酩酊しながら集めたフレンズで部屋はどんどん満たされていった。思い出すと涙が出る光景、小さな下宿に幾人も押し掛けていた。こういう学生街の夜感に混ぜてもらえて嬉しかった。気が付いたら眠っていた。正午を刻む頃、僕と愛しい馬鹿な男だけが下宿に残留し、酒が残った身体を嫌悪していた。気だるげな午後に伏していると、ちゃんと早起きして午前中を獲得した家主が帰宅してきた。「御所の桜が綺麗でした」という彼の言葉が、眩しかった!家を出た、お邪魔しました。早くここを脱出しないといけない、いつまでやってんだよ俺、わかってはいるんだけどな。気だるげな午後や夜更けを愛していてはならない。

にしても、どうしても京都が好きっぽい。友達の下宿で春風を窓から招いて、ここに言葉を書いている。桜が綺麗だった。一条寺の池田屋でラーメン食う、イッツァ ジャンク、やっぱりうまい。ハイカロリーに侵された重い身体で自転車に跨る。

週末の優しい昼下がり。会社員だった頃、喉から手が出るほど欲しかった時間だ。週末の優しい昼下がりの鴨川、そこには確かな幸せがあったと思った。鴨川の東側の道を九条辺りまで南下した、ユートピアを幾度となく潜り抜けて。

 

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