まだまだ悔しそう

29歳になったという日に、僕は横柄なおじさんに一言申すことができなかった。悔しかった。でも最近は仕方のないことかもしれないと思っています。もっと悔しかったのは、その横暴を受けた相手に対して一言を掛けられなかったことです。

なぜ一言を掛けられなかったと言いますと、「なんのことですか?」と言い返されるような見当違いになっては失礼かと思ってしまったためです。間違っていても声を掛けるべきだったと今は思いますが、僕の現在の実力はこんなものだと悔しかった。

危険な人間は本当は少ししか居ない、わかっていない人間はたくさん居る。自分が普段を生きる場所Aから未知なる場所Bに移れば、自分もわかっていない人間になる。「なれる」と言ってもいい。つまり、場所Bが学びの場となる。そこで学びを得られるのは常に想像し、考え続けた人間だけである。

どうか優しい皆様、僅かな危険のせいで悲しい思いをしないでください。そんなものには負けていいです。本当はあなたの優しさに気付いて声を掛けたい人はたくさん居ます。でも声を掛けられない自分も、現代の雰囲気もとても悔しいのです。

 

別件ですが、キャッシュレス決済への違和感が判明したので発表します。

キャッシュレス決済自体は素晴らしい部分もあると思いますが、"スマート決済"、"レジに並ばずに済む"とか、そういう発想になってしまうと、本来皆様の協力でレジを早く行っていたのがなくなり、学ばなくなる懸念がある。待つ時間という"いらないかもしれない部分"がなくなることへの恐怖もあります。便利なんやけどね。

まとまってなくてすみません。

コロナでテレワークが進みました。でもコロナに進められるべきではなく、自分達で考えて進むべきだったのではないか。という構造に似ていると思います。

 

以上、29歳を張り切って参ります。