1995年

不幸なニュースばかりだなあって誰かが言っていた。「最近の若者は」っていつでも言っている。現代の悪者は何ですか。ゲームが悪者だった時代は終わったんですかね。大人達が必死にも虚ろにもスマホでゲームをしている休憩室からお送りしております。

不幸なニュースばかりだなあ。その人にとっては不幸以外の何物でもないことが明らかだった。そりゃ、他人事だからね。僕の大切な人が無残に殺されようが、誰かにとっては、ただ等しく不幸なニュースだ。

 

かと言って不幸なニュースはあらゆる電波を伝って僕らの元に流れてくるから。その時の正しい対応って、何なのだろう。誰かの不幸な死に僕が手を合わせて御冥福をお祈りしたとして、何かが変わるのだろうか。手を合わせるという可視行為を用いなくとも、僕の頭の中の弔いの思いは変わらないのだけど。

「風化させてはならない」という価値観を持つことだけが救いなのかな。考えあぐねてしまう。

震災で大勢の人が亡くなったのも、小さな部屋で命が一つ奪われるのも、廃墟で少女が夢を見れなくなるのも、等しく強烈な不幸だよな。震災を機に大勢を弔うことは言わずもがな、相対的に小さな犠牲も無論、風化させてはならないことだなと思います。「あなたはその小さな犠牲達を覚えているのか」と問われれば、覚えられていないのですが。

東の地域で大きな震災が起きた時、当時高校生だった僕はボロボロになっていた。自身の無力さとそれでも続く毎日への違和感とで、少々気が狂いそうになっていた。

九州地方で震災が起きた時、少し遅れて駆け付けることができた。あの時何もできなかった自分を許すため、という理由も正直なところあった。「震災を待っていた」という最低な感情を僕は隠し持っていたのだと思う。それでも、それでも。

住居の清掃の手伝いをした。一言で言えば悲惨。住居の所有者が差し入れとパンをくれた。大変な状況に居るのはあなた達なのに、優しさが沁みた。

住居に居た皆々で話をしていると、所有者の息子が通っている大学と、僕が当時通っていた大学が同じだったことがわかった。ボランティアの大学生から、確かな存在になれた気がした。

黙祷