グッドバイ ・トラベルプランナ-

8月は遠くへ行く、遠くへ行ける。行けるような道を自分なりに選んだ結果であるが。

 

大学は4年で出た。特に打ち込むことも失敗する度胸も無かったし、恐らく暇だったし、それに一般線から逸れるのにも怖気付いていた。そんな理由からだと思う。

そして教師になるという大層な目標をツルギにもシールドにもして、将来を切り裂いて目隠ししていた。まあ、ひょんな都合から岡山で就職することになったのだが。

僕の社会人生活は退屈そのもので。時として心が揺れる瞬間はあったが、日々の速さは桜の落ちる速度そのもので、毎日鈍かった。その速度を楽しめない余裕無き自分の落ち度も相まって、誰彼構わず見上げては、下に見ていた。駅前で這いつくばってストロング缶を飲みつつ街を往く人人に侮蔑の目を向けて、場末の24時間飲み屋で、おでんの大根を肴に酒を飲んでいたりした。

社会人として生きてはみたものの、世間とか同級生とか知らない大人とか一目置いてる友達とか、対象を見つけては大股ライドで三歩下がってしか生きられなくて、単純に死んでいる感覚だった。缶ビール1本で眠気と鬱気が煽られて22:00には大体気絶して、6時頃には家を出た。酒癖は特に良くない方だけど、良くないなりには良い酔い方を今まではしていた、のだが、この頃の酔い方は一線を画した酷さだった。ションベンはぶちかますし、上司にも殴りかかるし、支払った金にブチ切れるし、飲酒する数時間前の記憶諸共無いし。ストレスで気が滅入っていたとか、そんなことで済ましたくない散々さだった。

何か悪行に対して、自己の不当さを理由に正当化することが大嫌いなんだよな。いじめとかDVとか貧乏とか障害とか、それがあったからといって不正が許されるということは有っちゃならんよ。悲しみしか生まないし。余談だけど。余談しかないけど。お前が言うな、という話だけど。

 

さておき、通勤は車で、毎朝毎晩とハヌマーンのトラベルプランナーばかり聞いていた。もう聞かなくて済んでいる。行きたいとこにも行ける。一緒に行ってくれる好きな人達がいる。あの頃の僕は腐ってて迷惑かけた。今の僕は少しばかり、誰かの役に立てている気がする。死ななくてよかった。それに僕が生きていて良かったと数人には思ってもらえている気がする。気がするくらいでいい。

グッバイ、トラベルプランナー。

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