仕事辞めてから家借りるまで

久し振り。記憶の整理。2018.2.28~7.15など

 

2.28

大雨だった。仕事を辞めた。岡山ペパーランドへ古本屋ながいひるの木村さんの歌を聞きに行った。当時仲良かった、やすこちゃんに余った生ハムをお裾分けした。木村さんには随分救われた。木村さんの歌を今でもこれからも聞いて、歌うと思う。岡山をこれにて終わらせた。

 

3.1

仕事を辞めての初日、大学当時の仲良かった4人(なかむ、つばさ、さわ)で鹿児島まで車で。九州をふらふらと走っていた。取り返しが付かない心地と、溢れる高揚感とか、定職を手放した者にだけ分かる無敵感と無力感とか。所持しては捨てて、酔っ払っていた。

 

しばらくで帰宅した。父親と大喧嘩して、気が付いたらガラスが割れまくった。車一つで逃走して、当時の彼女(つぐみ)と熱海へ旅行へ行った。何かと振り回してばかりで、申し訳なく思うことだらけだ。

 

ぼーっと車で幾夜過ごして、ばあちゃんちに逃げ帰り、しばらくして東日本へ繰り出した。

 

4.1

地域ルポライター的な何かになりたくて、各地をグルグル回っていた、このブログもその一環だった。今昔。

羅列しておく。

沼津のレインボー、喫茶ケルン、伊豆のオーキッドスギヤマ、下田の深夜食堂、喫茶オレンジ、川崎の池上コインランドリー、大田区で受けた長い職質、行田の鉄剣タロー、つぐみが少し住んでいた勝田台、銚子の未来魚亭、神栖のリユースショップ蔵、怪しげな風俗ストリート、水戸のホテル廃墟で会った男子高校生、定食屋ピッチャーゴロ、大学の後輩アンザイの地元今市市、ウエスタン村、幾度となく訪れた南相馬、後輩の小沢と飲んだ仙台いろは横丁、「くも」(いちばん好きな店)の大先輩まこっちゃん化女沼レジャーランド、盛岡の喫茶パークスのお母さん、久慈の居酒屋いなかっぺ大将で酒奢ってくれたおっちゃん、八戸の喫茶ポン、深夜喫茶プリンス、訳のわからん俺を泊めてくれた、しんちゃん夫婦、朝市を案内してくれたB1グランプリ発起人の木村さん、後輩のまいみちゃんが言ってた謎ラブホ・ホテルアメリカ、大好きな青森横浜町から見る夕日、最北端のコンビニで食うカップ麺、ぬいどう食堂のウニ丼、怪し過ぎる手招きをしてきた青森市のスナックのママ(結局入店して2人でしこたま金麦飲んだ)、ソワついた不老不死温泉での混浴、秋田を案内してくれた大好きな先輩姉のはまやん、グッド過ぎる酒場・正木理容、酒田のbarケルン、ボストンクラブ、白薔薇、とか。この前も会いに行った仲川さん(俺なんかに梨を送ってくれた)、新潟で歌ってたストリートミュージシャン、金沢で毎回食ってしまう お茶漬け志な乃、あわらで行ったストリップ、アナザーホームタウンの福井県殿下地区の大兄貴 ・要くん。羅刹すればキリが無い。

帰るタイミングなど決めてなかったのだけど、後輩のまいみちゃんがデートしてくれるとのことで、猛スピードで京都に帰って来てしまった。帰ってもすることがないので出町柳に有った、なかむの家で眠った。

 

5.1

ぎくしゃくしながらも実家へ帰り、現場派遣を1ヶ月することにした。探偵のバイトもしてみたが、自称探偵のジジイのメールアドレスがshinichi.tantei@… だったので、信用ならなくて何度かで辞めた。ジジイの名前シンイチじゃなかったし。

現場で会ったユウワという映画監督志望のやつと、大喜利・謎かけ・一発ギャグなど仕事そっちのけで高め合って遊んでいた。その最中、snsの知り合いだった同じ大学のゆきのちゃんと会うことになった。鳥貴族で元彼の愚痴をこぼして泣いていた。

 

6.1

つぐみとは別れていたが、何日間か泊めてもらっていた。紐みたいなものだ。何故か京都で飲み会を企画したので適当に帰京した。

6.9

大学の時に仲良かった連中で、拓人の家で酒を飲んだ。タクトは俺の大学当時のアパートに住んでいる後輩。朝が来たがすることがなく、どうしても女の子の家に泊まりたかったので、ゆきのちゃんに頭を下げて泊めてもらった。何日間か紐みたいに過ごして、散歩に行くことになった。近所を歩いていると「風呂なし一軒家」という看板を見つけ、いい感じだったので「ここに住む」とyume wo katareでラーメン食いながら決めた。今出川ハウスの始まりだった。

 

6.15

金もなかったので、タクトの家を1ヶ月間借りしてバイトをしながら金を貯めて7/15に正式に借りた。タクトの家にはもう1人ウェスというアメリカが住んでいて、俺とタクトが寝ていると夜な夜な知らん女が来たりしていた。いつものように朝方誰かが来たと思ったら、おまた という大学時代に1回だけ会った友達だった。ひょんなことから再会をして、今では随分仲良くなった。そして随分救われた。

 

7.15

正式に借りてから、1人で色々と部屋を魔改造していた。どっかから買ったり拾ったりして来た小汚いものとかを並べたり貼ったり。錆びたトタンが自宅と隣家の隙間に葬られていたので拾って壁に打ち付けた。そこにスプレーで落書きをしたり、部屋中にチョークでいろんなことを書いていたり、孤独で吐いていた。風呂はバケツにお湯を溜めて凌いでいた。いつからかルーティーン的な入浴から、汚れたら洗う洗濯方式に変わっていた。

 

何かと人を集めては家に招いていた。飲みに行く金も無かったし、何より自宅が好きだったし。賛否両論ある会を繰り返し繰り返ししていた。そんな感じだった