初めて記憶と向き合ったと記憶している記憶

いってきますと扉を開けて右に進み、十字路を右へ行くと、黒い小型犬にいつも吠えられる、少し怖かったことを覚えている。

小学校低学年だった僕は僕なりに怖がっていない振りに徹したが、今の僕が当時の僕を見れば、怖がっていることを見透かせるだろう、それくらいちっちゃな演技だったと思う。

いつからか、その角を右に曲がっても犬に吠えられなくなった。何か患って療養をしているのか、犬がいなくなったのだ。その後その犬には会えなかった。その犬の名前でも知っていたら、少しばかり絵本めいた内容にできたかもしれないが、どうしてもその犬はその犬。記憶の改竄はできない。

吠えられなくなった瞬間の記憶が曖昧で、その曖昧さゆえに今も頭の中に残っているのだと思う。終わりをちゃんと意識できる人になりたいと思ったのはその頃なのかもしれない。まあ事実を知らないまま、勝手にその犬の最期を設けて、道徳教材にしてしまった、当時の小学生の僕の代わりに謝ります、ごめんなさい。

下校途中、あったはずの家が無くなり、更地になっていた。僕はその家を何度も見ているはずだけど数時間前の景色を巻き戻して再生することができなかった。そのような経験は数え切れない。数時間後に何が起きるのかもわからないが、数時間前も意外とわからないものである。

このジャンク品の頭のリペアーが叶わないままここまで生きてきた。岡山駅ビックカメラジャンカラと進み、そのジャンカラのビルの隣の土地が更地になっていて、何があったかを思い出せなかった。

たまたま答えを知っていた友達が、答えを教えてくれたけどそれすら忘れた。居酒屋だったっけな。ただ、なぜ答えを知っていたかというと、好きじゃない人がそのビルで働いていたとかなんとか、僕のジャンク品の頭のせいで、悪いことを思い出させてしまったようなバツの悪い思いを抱えていた。

忘れたままにしておいた方がいい場合もあるのかもしれない。

 

乗り換えのため姫路駅のホームに降り立つ、その度に「これだよこの匂い〜」と姫路の駅そば通を装って、得意気になる遊びをしていると、ホームに座り込んでいるおばあちゃんが居た。明らかにどこかが壊れている様子だった。おばあちゃんがスーツとジャージに話しかけるも無視されて居たから気になって話しかけてみたら「100円!」と言われた。「どうすんの?」って聞いたら「ジュースほしい!」って言われた。「100円じゃジュースは買えない時代っぽいですよ、そこの自販機も130円からです」と言ったらそっぽ向かれた。8個目のバッジをゲットしても手懐けられそうなボケモンだこと。

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