風呂上りふんわり落ちてくる夜は

あなたのことばかり。銭湯から帰って1杯飲む頃には月灯りもふんわり落ちてくるって算段、450円。

店を開け、もうすぐ2年が経つ。今日もこうして、なんとか生きられている。生かされているし、生かしている。そう思っている方が良いとも思っている。笑って、良い友。

「二年後値上げします」と冗談で書いた紙を店に貼っているのやけど、2年もあると近隣の店もそこそこ値上げが行われていて、世知辛さを感じている。カメラのフィルムの値上げがいちばん感じる。酒屋さんからの値上げがないので、今は値上げはせずに済んでいるが、かなり不安なところはある。食材に関しては安い店探してなんとかしていきますわ。高田渡さんの値上げを聞いて、涙が出そうになるわけで、そんな自分を愛しているわけで、そんな誰かをまた愛したいのである。


ともあれ、最近の俺はすこぶる健康です。霧が晴れ、残ったのは労働に対する筋肉痛くらいなもので、ブログを見返して悩んでいたことが嘘のように好転している。梅雨の合間の晴れでないことを祈る。


7/6で二周年なので、7/8(金).9(土)と寝台船にて感謝祭ができたらありがたい。生ビールサーバーを借りるので、たくさん飲みましょう。

2021年終了

右も左も上も下もない。京都ガガガガ。東京ガガガの未来世紀。ここは、いいところだ。俺にとっては偶然だけど、誰かが作った風土か。もう少しずつ作っていきたい。お金に興味がないフリをしても、お金がないと楽しくない時があるのも実際で、おいしいものも食べたいし、いろんなものも見たいし、酒も飲みたい。寝台船を生かしてくれて本当にありがとうございました。


28日で店を閉め、29.30.31と忘年会というドサクサで酒を飲んでいた。誰かを呼ばず、来る人を拒まず。親族が俺にしてくれていたことを行ってみた。買い出しはどれくらい必要なんだろうとか、色々と不安はあったり。大人ってすごいな。僕なりに尽くしてみて、誰かの年末年始が良いものになったなら、嬉しい。来年はどうしようか、思い切って店を開けてもいいけど、たまたまやってる安い店として消費されるくらいなら、やっぱり閉めることを選ぶと思う。今までに来てくれた人だけを招くなんて酒場じゃないとも思うから、2階でお腹を空かせた誰かを酒を飲みながら待つことしかできないんだと思う。今年は寝台船の2階で飲む企画とかも数回できたら嬉しいな。


今年もまた来年も次も、同じ人と居るとは限らないし、遊ばなくなった人も多い。昔から俺はそういうやつだったように思う。自分の人間性に少し怯える。当時がそうだったように、いつも自分の居心地が良い場所で起きていたい寝ていたい。


平気で人を嫌うような性格だけど、「なんでそんなことするのか」理解できないようなことをされない限り、嫌いにならない。滅多にない。逆に嫌われることは少なくないとは思うけど、俺を嫌いだなんてもったいないとも思っている。

今年もよろしくお願いします。


ながいよる

店を開け1年5ヶ月、別に死んでもいいと思って♾、人として接してくれるようになってから長い。少数でもいいじゃないかと思う。

思えば、古川聖也が言っていることなんて誰も聞く耳を持たなかった。ズレているやつが何か言っている、そんな調子。誰かがこの文を読むかもしれない事実にすら涙する事実。

数年前には考えつかない事が確かに起きている。良くも悪くも。遠くに行ってしまった人はいるし、今だから近くなる人もいる。様々な取捨選択を続けた気はする。唯一思うのは捨てているわけではない。彼らの新譜はかっこいいとか。柴田太尊くんがアルバムを出すらしい。1/29、どうやら昼らしい。snsで見かけただけやけど、していて良かったと思う。名古屋で行きたいライブがあった。当時の熱量で話せる友達も降りたり上がったり、古川聖也なんて存在しなかったり。元々俺なんてそんなものである。必要はない。そこが始点でいい。脳内には今日も高田渡さんの歌が響く、にたないけんさんの歌が響く。続けたい日々が続く

もう別の仕事がしたいとすら近頃は思っている。生活が透けすぎていることもあり、誰に何を思われているのか、気になって仕方がない。別にどうでもいいんやけど、別にどうでもよくないやんか、双方。

流れで、群馬の伊香保温泉を訪れている。吉田屋旅館というおもしろい宿で今から眠るところだ。口コミで賛否両論あるのも納得してしまう旅館ではあるが、かなり素敵に歳を重ねてくれていると思う。帰りたくない。

俺って何なんだ。商売って何だ。わからん

烏丸今出川

それぞれ別の大学だし、当時は会ったこともなかったけれど。少なくとも俺も彼も同じことを思っていた。恐らく彼も彼女も誰も同じく、どの大学に居ても、あなたはそうだと思います。学生街には何も。

誰かの大学生活に文句を言いたいわけではない。各々が各々で、終着点を見つけては、その大学生活に名前を付けてアルバムに綴じて保管するが、重く大切なようなx≧4年間の厚みは段々と薄れていき、今となっては何もなかったように思えてしまうこともある。

未卒に終わるのも含めて、大学生活という無重力は、次生活で受ける重力を無視して、宙に浮くことができる期間のように思っている(2021年7月現在)。

大学生活の中で、理想の生活や身なり、思想、時間の弄び方などを見つける時間自体は凡そ充分にあるが、その理想を達成する為の装備を揃えるのは至難の技である。と、此処に明文化。


学生が終われば、学生が終わります。

ハァ( ゚Д゚)?


映画で見つける理想を、現実に摩り替えることはできない。「細々と暮らして行けたらいい」のは勿論そうだが、「細々と暮らす」までの道のりですら、はやさ × じかん で求めなくてはならない。「細々と」生きたいだけなのにね。

暴論ではあるが呼吸にも言葉にも税金は掛かっているし、年金も払わにゃならんし。逆に言えば住民税を支払っているので京都市内で「好きです。付き合ってください。」と告白してもいいだろう。


ともあれ、学生街に寄生して約8年、鈍行くらいで丁度いい。一応目指すは山頂。サンダルでとTシャツでも登れる山頂とかで。


来年もまた「この歳になって」

主人公は俺であり、俺であり、俺であり、俺である。この歳になってみても、そうである。

 

親友A、親友B、親友C、・・・、いくつになってみても、そういうことである。そう思いたい。

時溶性とでも言おうか、時間で溶ける。

時間で戻れる。しかしそれだけでは足りず。

毎秒集中して、毎秒気を抜く。うざったいけど、そんな繰り返しが、俺たちを繋いできたわけです。また繋ぎ直すわけです。

柔らかい国、更に向こうにあると地図上に出てくる。こちらもあちらからは向こう側やから俺は行かない。住めない。この国に残る。仕事だって場所だって待つことを選んだ。怖くない。

 

ふと少しずつ大人になってきた実感がある。ハンカチティッシュなどは未だに持ち歩いていないけど。

大人になるプレッシャーは怖いが、しっかりと大人になりたい。というか好きな未来を少しでも作ってみたい。

今日も廃墟には緑が住み着き暗く光る。バスや友達の車が何Lかのガソリンで運んでくれた景色は緑が落ち着き輝き光る。そんな風に見える。プレッシャーが怖い。例えば誕生日もなくなって、大谷翔平と同世代でもなくなるとか。逆に大谷翔平大友康平とその他諸々全てと同世代になるとか。何かに括られなければ何も怖くない。ひたすらに怯える。

 

とは言いつつも、俺は1995.03.14、平成7314日から生きてよかった。こちら、しばらく京都一乗寺。皆様どちら、また飲もうな。酒は何にも悪くない。

 

https://youtu.be/CIMz4f4iaKA

 

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だいたい毎日

特に予定がない時の生活
(時短営業がないとき)

9:00  起床

インタ-ネットする

9:30 机に向かう

考え事をする

10:30 食事と仕込のことを思う
   
11:00 食事と仕込をする。

15:00 休憩する

17:30 開店準備する

18:00 開店する

24:00 閉店する

25:00 ちょっとハイになる

27:00 寝る



まあ、実際はこんなものですら理想の生活なわけで。
大体のスケジュールは10:30頃起きて、ラーメン食って、また寝転んで、適当にスマホ見て。項垂れていると、気付けば南中を迎えてて1日が終わりに向かうことを実感して、また項垂れてしまって、誰かのことを考えて、くたばる。