俺は別に貧乏ではなかったけど

最近、自分がおかしい人間であると思ってしまう。変わっているとか社会不適合者とかではなく、おかしい。おかしい。

貧乏そう退屈そう幸せそう大変そう。優しいとか怖いとか、見た目に纏わるエトセトラ、何かを思われていると思わない。

自分がおかしいと思う理由には(もちろん実際は怖いので、そんな気はないけど)"死んだっていい"という意識の強さが関わっている。絶対に死にたくないし死ぬ気もないですが。

"死んだっていい"を言い換えると、"自分が正しいと思えたなら屈しない"という行動理念があるといった感じです。具体的に言えば、危険運転に対してクラクションを鳴らすタイプです(実際に鳴らすのかは別として)。クラクションを鳴らして争いになる可能性と、危険運転が減る可能性が有ります。争うことになっても、危険運転が減る可能性に賭けるといった感じです。

少し異なりますが。電車内でお年寄りに席を譲らない人に対して不親切だとは思わないけど、詰めたら座れそうな横並びの席を詰めない人達には不親切だと思う。失礼ながら容姿や臭気で詰めたくない人が居たら話は別ですがね。後者は最後の餃子を残したまま喋り続けそうな人達と同じ人な気がするんです。

別に最後の餃子を残したまま喋り続けてそのまま残して帰ってもいいし席を詰めなくてもトイレを綺麗に使わなくても会計に手こずってもわざわざ挨拶しなくても敬語でも非敬語でも、いいんです。開けたら閉めなくてもいいんです。別にいいんです。

貧乏な子ではないから、もったいないもったいない、人並みやったと思う。でもやっぱりもったいないもったいない。まあもう気づいているんですけど、もったいないからもったいないのは当然で、お前らと同じ人間に括られたくないから、その指標として"もったいない"が分かりやすいのが事実。その次が敬語に非敬語、挨拶、最後の餃子、"人に優しく、人々を滑らかに"。最近、思います。やめたい気持ちもありますが、やめたくない気持ちが強いです。胸を張って生きたい、自分を信じつつ、たくさん人と話したい。

以上。

 

 

 

 

 

以下、最近あったことを書きます。

自分の居住区から2人で、他人の街Aへ赴く。

他人宅にて「シャワーをお借りします」と伝えて、借りた。常識だと思うのですが自宅で有っても誰かを招いたなら入室時はノックしますよね。ましてや、脱衣所なら必ず。万が一、鉢合わせるかもしれない脱衣所に急用があったとしてもノックも無しに入るB氏。心底呆れたが飲み込んだ。

その後、B氏予約の店が小綺麗なコース料理の店で、会計が1人5,500円。ご予約等ありがたいですが、相談が欲しい額だと思った。金銭感覚の違いですか。俺は別に貧乏ではなかったけど。

自分達2人、街Aの方4人の合計6人での利用でした。自分達は高い店じゃなくていいのにと思いながら支払い。B氏が街Aの方(数人かな)の支払いを「いいよいいよ」と奢っている姿を見て嫌な気持ちになる。

二軒目、次もB氏が予約してくださった店へ。2名追加で6人から8人。良心的な店でした。街Aの方々に混ぜてもらいありがたかった。閉店時間になり、店の方が伝票を持って来てくださり、街Aの方と僕と2人で伝票を受け取り、1万5千円。ありがたい値段でありがたい。

会計時に「さっきの店も払ってくれてましたもんね」と言われ、一軒目の会計は俺たちヨソモノだけが満額の支払いだったのかと確証に変わって、嫌な気分になった。もちろん支払いますけど、気持ちのいいものではなかった。

落ち込んでいると「15,000円なんで5,000円でいいですか?」と僕は問われて、後で返してもらえるだろうと5000円を支払う。返ってこないまま数名が帰路に着いた。

僕の懐の狭さもあると思うけど、この街には居られないと思った。

「泊まっていいよ」と言ってもらえたり、お土産をくださったり、街の案内、お店のご予約等、表向きは大変ありがたかったのですが、どんどん不審が不審を呼び、同行者へのセクハラがある家に泊まれない、店を決める権利がない、お金の不透明さなど全てが嫌な風に見えてしまった。

非常に大人気ない言動だったと反省していますが、気が狂いそうでした。

被害妄想、統合失調症の類でしょうか、俺がおかしい