よっぽどなことがない限り、お盆は無理をしないってのが、いちばんですね。
実家が比較的近所でよかったです。仕事するか帰省するか。
家族で行った飲食店で店の人にブチ切れていた客の人、確かにラーメン来なかったのに伝票にラーメンが記載されていたら店が悪いですが、盆に働いて苦しかったことを思い出す。幸せは遠すぎる。俺は俺なりに国や酒場の為にがんばりたい。ほっといてください。
よっぽどなことがない限り、お盆は無理をしないってのが、いちばんですね。
実家が比較的近所でよかったです。仕事するか帰省するか。
家族で行った飲食店で店の人にブチ切れていた客の人、確かにラーメン来なかったのに伝票にラーメンが記載されていたら店が悪いですが、盆に働いて苦しかったことを思い出す。幸せは遠すぎる。俺は俺なりに国や酒場の為にがんばりたい。ほっといてください。
最近、自分がおかしい人間であると思ってしまう。変わっているとか社会不適合者とかではなく、おかしい。おかしい。
貧乏そう退屈そう幸せそう大変そう。優しいとか怖いとか、見た目に纏わるエトセトラ、何かを思われていると思わない。
自分がおかしいと思う理由には(もちろん実際は怖いので、そんな気はないけど)"死んだっていい"という意識の強さが関わっている。絶対に死にたくないし死ぬ気もないですが。
"死んだっていい"を言い換えると、"自分が正しいと思えたなら屈しない"という行動理念があるといった感じです。具体的に言えば、危険運転に対してクラクションを鳴らすタイプです(実際に鳴らすのかは別として)。クラクションを鳴らして争いになる可能性と、危険運転が減る可能性が有ります。争うことになっても、危険運転が減る可能性に賭けるといった感じです。
少し異なりますが。電車内でお年寄りに席を譲らない人に対して不親切だとは思わないけど、詰めたら座れそうな横並びの席を詰めない人達には不親切だと思う。失礼ながら容姿や臭気で詰めたくない人が居たら話は別ですがね。後者は最後の餃子を残したまま喋り続けそうな人達と同じ人な気がするんです。
別に最後の餃子を残したまま喋り続けてそのまま残して帰ってもいいし席を詰めなくてもトイレを綺麗に使わなくても会計に手こずってもわざわざ挨拶しなくても敬語でも非敬語でも、いいんです。開けたら閉めなくてもいいんです。別にいいんです。
貧乏な子ではないから、もったいないもったいない、人並みやったと思う。でもやっぱりもったいないもったいない。まあもう気づいているんですけど、もったいないからもったいないのは当然で、お前らと同じ人間に括られたくないから、その指標として"もったいない"が分かりやすいのが事実。その次が敬語に非敬語、挨拶、最後の餃子、"人に優しく、人々を滑らかに"。最近、思います。やめたい気持ちもありますが、やめたくない気持ちが強いです。胸を張って生きたい、自分を信じつつ、たくさん人と話したい。
以上。
以下、最近あったことを書きます。
自分の居住区から2人で、他人の街Aへ赴く。
他人宅にて「シャワーをお借りします」と伝えて、借りた。常識だと思うのですが自宅で有っても誰かを招いたなら入室時はノックしますよね。ましてや、脱衣所なら必ず。万が一、鉢合わせるかもしれない脱衣所に急用があったとしてもノックも無しに入るB氏。心底呆れたが飲み込んだ。
その後、B氏予約の店が小綺麗なコース料理の店で、会計が1人5,500円。ご予約等ありがたいですが、相談が欲しい額だと思った。金銭感覚の違いですか。俺は別に貧乏ではなかったけど。
自分達2人、街Aの方4人の合計6人での利用でした。自分達は高い店じゃなくていいのにと思いながら支払い。B氏が街Aの方(数人かな)の支払いを「いいよいいよ」と奢っている姿を見て嫌な気持ちになる。
二軒目、次もB氏が予約してくださった店へ。2名追加で6人から8人。良心的な店でした。街Aの方々に混ぜてもらいありがたかった。閉店時間になり、店の方が伝票を持って来てくださり、街Aの方と僕と2人で伝票を受け取り、1万5千円。ありがたい値段でありがたい。
会計時に「さっきの店も払ってくれてましたもんね」と言われ、一軒目の会計は俺たちヨソモノだけが満額の支払いだったのかと確証に変わって、嫌な気分になった。もちろん支払いますけど、気持ちのいいものではなかった。
落ち込んでいると「15,000円なんで5,000円でいいですか?」と僕は問われて、後で返してもらえるだろうと5000円を支払う。返ってこないまま数名が帰路に着いた。
僕の懐の狭さもあると思うけど、この街には居られないと思った。
「泊まっていいよ」と言ってもらえたり、お土産をくださったり、街の案内、お店のご予約等、表向きは大変ありがたかったのですが、どんどん不審が不審を呼び、同行者へのセクハラがある家に泊まれない、店を決める権利がない、お金の不透明さなど全てが嫌な風に見えてしまった。
非常に大人気ない言動だったと反省していますが、気が狂いそうでした。
被害妄想、統合失調症の類でしょうか、俺がおかしい
7/6で店を開けて3年。言語は難しい。
2020年7月6日の雨の日に店を開けました。
明日が2023年7月6日です。雨が降っています。
以下、
店のルールって何やねんと思う人がいるのは理解しません。理解するのですが、と言いかけたけど別に理解しない。適材適所、先生の顔を見て態度変えてたタイプの俺。ずっと変えないあいつも好きやけど、自分で作った店くらい、自分の愛し方で愛したいわけです。以下、
・ひとり、1杯ずつから始めてください。
・ご予約は基本的に4人以上のみ承ります。カウンターは現場主義で。
・人が増える時は一声かけてください。その時、その場を確認していただけるとありがたいです。
・大きい声や長時間の通話は止めてください。
・スマホ等から故意に音を出さないでください。会話と空気の妨げになると考えています。
・プライベートな質問等、嫌がられる可能性がある言動は関係性を築いてから行いましょう。あくまで飲み屋なので、堅苦しいのは好ましくないですが、あくまで飲み屋なので、飲み屋なのです。
・疑いたくないので【裏口】から出入りしないでください。入ってきた戸で、出入りしてください。
・酒を飲む店です。満員時に、飲まず、長く滞在することは基本的に止めてください。生きてゆけなくなります。飲みたい人は居てください。
・「安い」と言うのなら、もっと飲んでください。余裕が有ったら分け与えてください。
今後ともよろしくお願いします。
偉そうで傲慢な人に安くて良い店だと思われる気はありません。酒を少し多めに飲みたい人に値段も納得できて良い店だと思われるようにがんばりたいです。屈したくない。消費される気はない。あなたが誰とか知りません。精一杯がんばりますので、お互い良い関係を築きましょう
寝台船 古川聖也
個人的に良いタイミングなので記しておきます。
以下、
店のルールって何やねんと思う人がいるのは理解しません。理解するのですが、と言いかけたけど別に理解しない。適材適所、先生の顔を見て態度変えてたタイプの俺。ずっと変えないあいつも好きやけど、自分で作った店くらい、自分の愛し方で愛したいわけです。以下、
・ひとり、1杯ずつから始めてください。
・ご予約は基本的に4人以上のみ承ります。カウンターは現場主義で。
・人が増える時は一声かけてください。その時、その場を確認していただけるとありがたいです。
・大きい声や長時間の通話は止めてください。
・スマホ等から故意に音を出さないでください。会話と空気の妨げになると考えています。
・プライベートな質問等、嫌がられる可能性がある言動は関係性を築いてから行いましょう。あくまで飲み屋なので、堅苦しいのは好ましくないですが、あくまで飲み屋なので、飲み屋なのです。
・疑いたくないので【裏口】から出入りしないでください。入ってきた戸で、出入りしてください。
・酒を飲む店です。満員時に、飲まず、長く滞在することは基本的に止めてください。生きてゆけなくなります。飲みたい人は居てください。
・「安い」と言うのなら、もっと飲んでください。余裕が有ったら分け与えてください。
今後ともよろしくお願いします。
偉そうで傲慢な人に安くて良い店だと思われる気はありません。酒を少し多めに飲みたい人に値段も納得できて良い店だと思われるようにがんばりたいです。屈したくない。消費される気はない。あなたが誰とか知りません。精一杯がんばりますので、お互い良い関係を築きましょう
寝台船 古川聖也
あの頃(n歳の頃)の俺が常に頭の中に居る。具体的にどこに居るのかはあんまりわからん。部屋が綺麗な方ではないので、頭の隅とか手前とか、整理があんまり追いついてない。追いついてないからこそ素敵な一手が急に出てくることもある。家のどこかに置いて消えてしまったメジャーや爪切りが、すっと出てきて休日の上機嫌が加速する。嬉しい。
あの頃の俺が常に頭の中に居る。というより、あの頃の俺を常に頭の中から追い出さず、座布団渡してお茶出してる感じ。あの頃の俺に嫌われないために生きていると言っても過言ではない。「それは過言だろ」と言われる気もする。
横文字の使い手達が作りあげる空間、非営利目的への懐疑とか憧れ、味がしなくなった文句、無礼な物差し、
俺は外に居て、中に入ったら帰りたい。上手くいって中に入れても、外に居たあの頃の俺がこっちを見ている。ありがとう
最近会える皆は、なんとなくそういう人が多くて、とても過ごしやすい。褒め言葉じゃない気がするのでごめんなさい。ものすごくありがとう。
あの頃の俺がずっと頭の中に居る。それゆえ集中力が不足している気はするけど、これからも仲良くしていたい。
友達なんて増えては消えて、消えて増えて消えて、だいたい均一化される。いちばん大きいブルーシートを想像する。そこに座って花見できるくらいの人数が自分の限界のような気がしています。かと言って消えていった友達、時には俺が消えたとも、嫌いなんてことはほとんどなく単純に話が合わなくなって、会わなくなって、会わないから合わなくなって、まあ当然のことなのでしょうが。
綺麗事は今日も綺麗です。とにかく会わなくなった人はたくさん居て、その大半は多分、お互い嫌いにはなってないけど様々、暴力性、ボキャブラリー、女癖、下ネタ、酒癖、摂取コンテンツ、他者への態度、金銭感覚、何かに決定的な違和感を覚えてしまうと少しずつ疎遠になってしまうのかな、少なくとも自分はそういう性格なのかなと最近は思っています。とか言いながら、みんな単純に忙しくなっただけですね多分。
まあなんであれ、誰かと会う時はいつだって真剣と言いますか、間違えたら一瞬で縁が切れるくらいの覚悟で過ごしています。それが何年来の親友であっても関係なく、合わなくなってしまえば、ゆっくりそこから最後へ向かっていくんだなって、そう思って今しばらく生きています。まあ親友だからこそ本気でありたいです。
失敗はあってもいいと思いますが、無い方がいいです。28歳です。以上です。
先週末に大学時代の親友と昼下がり鴨川デルタ西入ルで話した。ゆっくり話したいものの、日が暮れたら仕事だと常に意識が散っている。いつの間にか追われてしまっている。
思い描いていた生活なのか、わからないのが実際のところです。才能とか運、実力云々、何を言われても、ハッキリ"負けん気"みたいな何かでここまで来てしまった気がする。センスや才能を要することから昔から逃げ生きて、センスや才能を言い訳にして、努力から逃げ生きた。我慢とか根性とか友達運で、ここまでやってきた。
ひとつだけ思い続けているのは、僕のインショクギョウは間違っていなかったことを証明したいということです。なんか大事なものがない、チェーン的個人店、死ぬまでやるのに流行ってられない、俺は平成、誰にも知らない速さとかで、生き残ることがそれです。
いつもありがとうございます。